医は仁術
医療制度がいかなる変化になるとも、医の原点はあくまで患者さん側に立って一人の人間と医師との人間関係で成り立つことに変わりはないのです。
現在、しきりに言われるインフォームドコンセント、即ち「説明と同意」など、いまさらのものではなく医の原点に立ち返れば今も患者と医師の信頼関係あってこそ、真の治療ができるものと信じています。
たとえ高度な医療機械、医療技術があっても「医は仁術」が医療の原点である事は事実です。
私たちの病院は、この信念で地域医療の一端を担うつもりです。
「医は仁術」語源
「医は仁術」の語源について、中国明代の『古今医統大全』の記述からの引用が有力であると言われています。
陸宜(りくぎ)公(唐の徳宗の時代の宰相)の言葉に、
「医は以て人を活かす心なり。故に医は仁術という。疾ありて療を求めるは、唯に、焚溺水火に求めず。医は当(まさ)に仁慈の術に当たるべし。須(すべから)く髪をひらき冠を取りても行きて、これを救うべきなり」
とされています。
恐らく、これらを敷衍したと思われる貝原益軒の養生訓[正徳三年(1713)]では、
「医は仁術なり、仁愛の心を本とし、人を救うを以て志とすべし、わが身の利養を専ら志すべからず。天地のうみそだて給える人をすくいたすけ、萬民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命という、きわめて大事の職分なり」
「医となるならば君子医となるべし(中略)、君子医は人のためにす。人を救うの志専一なる也。(中略)医は仁術なり。人を救うを以て志とすべし。(中略)人を救うに志なくして、ただ身の利養を以て志とするは、是わがためにする小人医なり。医は病者を救わんための術なれば、病家の貴賤貧富の隔てなく、心を尽くして病を治すべし。病家よりまねかば、貴賤をわかたず、はやく行くべし。遅々すべからず。人の命は至りて重し、病人をおろそかにすべからず」
と説いています。